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倫理良書レビュー

倫理良書レビュー2011年4月おすすめの図書



  原田正純著 『水俣病』 岩波新書 1972年刊


 東日本大震災で文字通り巨大な揺さぶりにかけられた2011年の日本社会だが、その「震源」の相当部分は科学技術の倫理という問題に関わっている。原子力発電所は何重にも「安全」が守られていると唱えられてきた。ところが福島第1原子力発電所の津波に対する対策はきわめて脆弱だった。津波に対する対策は十分立てられているかという問いに対して、質問が投げかけられていたのに対して、東京電力はそれを無視していた。
 それだけではない。そもそも安全最優先のはずの原子力発電所だが、設計の段階から施工、そして運転開始後最近に至るまで、安全を尊んできたとはいえないような措置がさまざまになされてきたことが明らかになってきた。想定を超える大地震であり巨大な津波だったから、多くの人々は東日本大震災は天災だと感じている。だが、福島原発事故については人災であることを否定する人は少ない。
 事故発生後の政府、東電、科学者、マスコミの対応にも批判が集まった。危険を回避するための対応が遅れたこともさることながら、危機的な状況であることの真実を伝えずにひたすら「安全」を繰り返す原子力工学者、そしてそれを鵜呑みにして伝えるメディアへの不信も高まった。経済産業省(旧通産省)、文部科学省(旧科学技術庁)、関連企業(東電)、原子力工学者らが「原子力村」という仲間内の世界を作って、無責任体制を作ってきた。それが事故の一因でもあるし事故処理の遅れにもつながり、国民を欺く情報隠蔽、責任不在の体制にもつながったと批判されている。
 放射性物質による健康被害についても科学者とメディアの情報提供のあり方が不信を招いた。放射線医学者ら放射線の専門家は、ひたすら「安全」を強調した。放射性物質が飲料水や食物に多量に混じっている場合、出荷規制や摂取規制がかけられる。その際、放射線の専門家とメディアは繰り返しその危険はほとんどないと述べた。「直接、健康に影響はない」と繰り返すのだが、では、どのぐらいの量になると影響があるのかは述べないのでかえって不安を招いた。また、福島県の住民に対して、地表や土壌に含まれるセシウム等の放射性物質の線量が通常の規準を大きく超えている場合も、「安全」だと繰り返したために、地元住民の信頼を失うというようなことも起こった。
 原発をめぐる役所、企業、学者、メディアの態度は住民の健康を軽んずるものとして多くの批判を浴びたが、こうした事態はまったく新しいものではない。住民の健康を軽んじ、情報を隠蔽して特定グループの利益を守り、それが日本経済全体の利益だとされて政府や官庁の支持するところともなったという点では、1960年代の公害問題、とりわけ水俣病の問題がよく似た構造をもっている。水俣病事件を振り返りその光の下で福島原発事故を振り返ってみると、科学技術開発の倫理について得るところが多いのではないだろうか。
 そこで私が薦めたいのが、精神科医として水俣病に深く関わることになった原田正純氏のこの著書だ。原田氏は医師となってすぐに水俣病と関わるようになり、水俣病の患者のために戦いながら医学研究を深めていった。2011年の日本国民が東京電力の無責任ぶりに驚いたのと同様、当時の国民はチッソ株式会社(60年代当時は、新日本窒素肥料株式会社)の無責任にぶりに驚いた。だが、そうなるまでには重要な情報を隠し責任を逃れようとするチッソ、そしてチッソを守ろうとする政府・官庁や学者と戦い、被害者とともに病因を突き止め、チッソの責任を明らかにしていった医学者や他の学者、市民、労働組合、そして患者自身の辛抱強い活動、運動が必要だった。
 1934年生まれの原田氏が72年に著したこの書物だが、水俣の被害者たちとともに病気・障害と、また科学技術はどうあるべきか、医学はどうあるべきかについて倫理的な緊張感のある密度の濃い記述がなされており、今読んでも学ぶところが多い。過失を犯して住民を苦しめた責任をもつ企業や、その企業を守ろうとする役所や学者ができるだけ企業や国の責任を軽くしようとして欺瞞を重ねる様子が描かれている。情報の隠蔽やごまかしが度々行われた。他方、住民の側は必ずしもそれを追及しようとはしない。むしろ水俣病であることを隠そうとし補償金が得られるようになってさえ、それを否定する人がいる。障害を認めれば免許がとりにくくなるのではないか、差別を受けるのではないか……、あらゆる懸念があるのだ。
 そもそも原田氏のような大学の学者が患者の気持ちを理解するのは容易ではなかった。現地に赴くまではなかなか本音を言わないのである。原田氏は大学の研究室を出て「水俣通い」をするようになる。
 ……最初のころは患者家族たち、とくに母親から、強い不信、怨みの激しい言葉を浴びせられたものである。大学から来たというと、だれでも感謝してくれるとぐらいにしか思っていなかった私たちにとって、それはショックであった。大学病院という権威を借りて、「診てやる」という今までの姿勢が、不信へつながるあやまちであったことをしみじみと感じさせられたのである。市立病院で患者を診察するときに、一様にその母親たちが無口であったのも、心の中をみせなかったのも、その理由がこうしてわかったのであった。(77ページ)
 こうした経験の積み重ねを通して、原田氏は患者自身の生活と経験に即してその病態を理解していく方法を身につけていく。それが水俣病とは何かを解明し、患者への正当な補償のあり方を見出していく決め手となるのだ。水俣病の典型的な症状とされるものと、それ以外の症状との関係を理解するのも容易ではない。それが分かるためには生活の場に赴いてその人の生活の全体をからだ全体で理解する必要があるのだ。
 残念ながら水俣病は脳全体に変化を起こすのであるから、その結果として、感情や意志の面の症状も無視できない。そのために、ひととおりの社会生活がうまくできなくなるような、さまざまな障害も見られる。ある患者は人を嫌い、閉じこもり、人を見ると逃げ出す。ある患者は感情の動きが激しく、ちょっとしたことで興奮する。あるいは無気力となり、あるいはなかには邪気深く、嫉妬妄想や被害妄想が出てきたりもする。このようなさまざまな精神の面での障害も、きわめて深刻である。その実態はいまだ十分に明らかにされてはいない。それらの障害は生活の場においてでなければ、なかなかとらえにくいものであることも事実である。(130ページ)
 ところが、チッソ側は患者を分断した上で、補償額をできるだけ低い額に抑えようとし、その意向を受けて厚生省の補償処理委員会が斡旋案を提示した。それにそって患者は医師との短い面接でその症状の度合いを重症、中等症、軽症などと定められることになる。原田氏はこれについて、次のように述べている。
 私は、結論的にはっきりいうと、法律や理屈をかざし、医学的症度で合理性を装ったこの斡旋の内容に、強い不満をもっている。失われたものが金に換算できないことはもちろんであるが、一日やそこらの診察や問診だけで、その障害の深刻さはとてもつかみきれるものではない。私は何も、公害病、水俣病だからという理由から、そういっているのではない。どんな場合においても、人間を、喜び、悲しみ、怒る、生きた人間としてとらええてもらいたいのである。(130ページ)
 原田氏のこのような立場は従来の医学の枠を超えていく。できるだけ水俣病の認定を減らそうとする会社=役所側と戦った患者の川本輝夫氏との出会いから得たものは大きかった。仲のよかった父を水俣病で失い自らも病に苦しむ川本氏は本質的な問いを原田氏につきつけていく。
 物腰は静かで控えめであったが、目つきは鋭く、その内に秘めた闘志のなみなみならぬものを感じた。彼が問いかける訥々とした一つ一つのことばが、私の胸に突きささり、たえられない苦痛としてひろがると同時に、一方では、この男に負けまいとする反発をも感じた。身をもって全生活をかけて水俣病とかかわりを持ってきた男と、大学の研究室からはるかに水俣病を見てきた人間との、どうしようもない距離、疎外感がなにものであるかを知らず、このとき感じた私の苦痛は、みずからが専門家であるという権威をおびやかされようとすることに対する危機感であったのかもしれない。(139ページ)
 原田氏にとって医学とは厳密に病因を確定していく実験室の作業であるとともに、患者がふだんの生活の中で表現していることを深い次元で理解し、ともに生きる意味を分かち合うような経験を含んだものだった。人間のからだも基本的にはモノとして見て、モノへの知識を拡充して、意識をもつ存在である人間のモノへの支配力を増加させていこうとする「科学」に対して、ここで考えられている医学は何か異なる知のあり方を示している。それは倫理の次元に関わることであり、科学技術開発が忘れがちであるが、忘れてはならない何かなのだろう。
 私たちは、ある人間の障害の程度に、不用意に重症だとか軽症だとか差をつけることに慣れてきている。やはり、伝統的に私たちは身体機能の側面からその判断をする。つまり、寝たきりの人が、起きて歩ける人よりも重症だ、家にいる人が仕事に行っている人より重症だ、等々である。しかし、これは、私たちの医学が、人間を、一つの働く、あるいは労働する機械としてみてきた歴史のせいであろう。こうした人間観を医学者自身が変革しなくてはならないのではないか。この考えは、現在あるいは十分に支持されないかもしれないが、水俣病裁判の中でそのような主張をした人間がいたことは歴史にささやかに残ると思う。(228ページ)
 福島原発事故の後の原子力工学者、放射線医学者、その他の専門家の対応を見ると、著者の言葉はなおその新鮮さを失っていないように感じられる。科学技術は倫理を忘れがちで、重大な事故や公害が起こるまではそのことは隠されている。いや、多くの被害者が生じるようになってさえ、なおその欠陥を認めようとしないほどなのだ。科学技術がどうしてそのような事態を引き起こしてしまうのか、この書物を通して考え直してみたい。





 

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