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倫理良書レビュー

倫理良書レビュー 2011年8月おすすめの図書



  吉田満著(保坂正康編)

  『「戦艦大和」と戦後』
筑摩書房(ちくま学芸文庫)2005年刊



 学徒兵として1945年4月、戦艦大和の沖縄特攻作戦に参加し、かろうじて生き残った吉田満(1923-79)は、佐世保の病院を出るとさらに人間魚雷の特攻を志願し、四国の基地で終戦を迎えた。22歳の年で沈没する戦艦大和とともに死に直面し、多くの仲間の無惨な死に立ち会い、かつ自ら覚悟したはずの死は単なる生物的な死に過ぎず、自ら納得に値する生をもたなかったという負い目と絶望感に苦しめられていた吉田は、その体験を見直す手記をほぼ1日でまとめた。それが戦争文学の名作として知られる『戦艦大和ノ最期』である。
 だが、この作品は占領軍の検閲によって公刊を許されず、オリジナル版が刊行されたのはサンフランシスコ講和以後のことだ。もともと吉田は作家として生きることを望んだわけではなかった。東大法学部卒業後は日本銀行に勤め、銀行員として56歳で生涯を終える。だが、吉田は多忙な仕事の合間に文筆活動を続けた。特攻兵が戦争と死の体験をどう受け止め、戦後日本社会をどう生きたかは、その文筆の記録からある程度うかがうことができる。『吉田満著作集』2巻があるが、手に取りやすい形ではこの『「戦艦大和」と戦後』、そして『鎮魂戦艦大和』(講談社文庫)、『提督伊藤整一の生涯』(文藝春秋→洋泉社)でほぼすべてとなる。
 『「戦艦大和」と戦後』に収められているのは「戦艦大和ノ最期」と『戦中派の死生観』(文藝春秋)に収められたエッセイだが、後者の収められた文章は戦後直ぐの時期から死の直前に及んでいる。日銀の同僚だった千早耿一カによると、吉田はよく次の短歌を口ずさんでいたという。国文学者で歌人でもあった岡野弘彦の作品だ。(『大和の最期、それから――吉田満 戦後の軌跡』講談社、2004年)
 辛くしてわが生き得しは彼等より狡猾なりし故にあらじか
 若くして死んでいった同輩たちに対する慚愧の念にかられ続けた一生だったが、その思いをここまで率直に文章に結晶させた人はまれだった。病牀で口述され、遺稿となった「戦中派の死生観」には次のような一節が含まれている。
 戦後三十四年が過ぎたことは、戦中派が戦争にかり出された頃の父親たちの年齢に、われわれが達したことを意味する。……父親の年になるまで生きて、青春のさ中に散っていった仲間たちのことが、その悲劇の意味が、はじめて分ったということである。われわれの戦後の生活には、波瀾あり挫折あり悔いも多いが、彼らはそのかけらも経験することはなかったのだ。
 生き残りとしての苦渋の言葉を記し続けた吉田満だが、それはまた若くして死んだ同世代の人々の死の無惨さ、痛ましさを確認し続けることでもあった。その痛ましさの意識こそが、近代日本の死生観と倫理観の新たな地平を記しづけるものである。
 「故人老いず生者老いゆく恨かな」菊池寛のよく知られた名句である。「恨かな」というところに、邪気のない味があるのであろうが、私なら「生者老いゆく痛みかな」とでも結んでみたい。戦死者はいつまでも若い。いや、生き残りが日を追って老いゆくにつれ、ますます若返る。慰霊祭の祭場や同期会の会場で、われわれの脳裏に立ち現れる彼らの童顔は痛ましいほど幼く、澄んだ眼が眩い。その前でわれわれは初老の身のかくしようがない。
 56歳で死を前にして書かれたこの文章も「生き残り」としての「戦中派」の意識が印象深く語られている。「戦艦大和ノ最期」以来、吉田の文章全体の特徴は戦争で早死にした仲間たちの無残な死を、どのような意味で無残と見るか、問い直し続け、そうすることによって鎮魂の意志を示し続けたことにある。
 彼らは自らの死の意味を納得したいと念じながら、ほとんど何事も知らずして散った。その中の一人は遺書に将来新生日本が世界史の中で正しい役割を果たす日の来ることをのみ願うと書いた。その行末を見とどけることもなく、青春の無限の可能性が失われた空白の大きさが悲しい。悲しいというよりも、憤りを抑えることができない。
 ここで吉田は「その悲劇の意味が、はじめて分った」と書いている。戦後のさまざまな経験を経て、戦死した若者たちの父の年代になったからやっと分かったという感慨を込めたものだろう。しかし、実際に吉田が記していることは、戦後の早い時期から書いてきたこととあまり変わっていない。無残な若年死の当事者であることから遠ざかった50歳代の文章と、なお当事者としての緊迫感の漂う1940年代末の文章では確かにトーンは異なる。だが、死生をめぐって語られていることの内実は変わっていない。戦後、35年にわたり、吉田は戦死した若者たちの死の無残さについて同じことを言い続けたように思える。
 若者たちの死の無残さとはどのようなものか。敗戦直後の吉田は、それを何よりも自らの心の内の事柄として意識し、沈黙しがちながらも言葉をしぼり出すように語ろうとした。若者たちは壮大な破壊に、つまりは虚無に呑み込まれた。それは沈没しゆく戦艦大和から海中に投げ出された彼個人の体験そのものだった。たとえば、1948年に公表された「死・愛・信仰」という文章では次のように述べられている。
 私は終始、人間らしいおのが心をしびれさせたまま、戦い、死を掠め、よみがえったのである。一夜を、昏々と眠り呆けた。翌朝、春の陽のみどりの山の前に、ただ抜けがらのように立っていた。美しい、とわずかに感嘆が湧くのみだった。
 白いベッドに身を横たえながら、私は身をさいなむ問いを執拗にくり返した。――あれが死なのか。波にまかれしたたかに水を呑まされ、苦悶の極に明転し、そして俺は蘇ったがもしあの時暗転していたならば、――あの眠りに似てより重く、窒息に似てよりいまわしい、瞬間が永遠につづくのであろうか。しかも一度限りの、終熄。いなそれよりも、あののがれようのない、孤独、寂莫、絶望はどうしたことなのだ。あのようにしか死ねないものとすれば、人間とは何なのか。何のためのものなのか。それだけのものではないはずだ。たしかに、何かが欠けている。あれを悲惨の極と感ずるこの心がある以上、それにこたえるものがなければならない。……欠けたものは一体何か。俺の場合の、虚無の理由は何なのか。
 この文章では、その後、吉田がカトリックの今田(こんだ)健美神父に出会い、キリスト教の信仰に導かれていく経緯も描かれていく。それは死に直面した吉田が見てしまった「虚無」を克服することができる唯一の道と感得されたと思われる。だが、それによって吉田の実存的な問いが終息したわけではない。
 吉田個人が自らの内なる虚無にかくも深刻に向き合わざるをえなかったのは、戦争の破壊による虚無を強く意識していたからだ。その虚無に無惨に飲み込まれたのが大和で行動をともにした仲間たちであり、同世代の若者たちだった。吉田が内なる虚無をそれほどに重く受け止めたのは、無惨な大量破壊をくり返す現代世界の巨大な虚無に呑み込まれた仲間たちの無惨な死を悼もうとしたからではないか。
 そうだとすれば自分自身のこととともに、あるいはそれ以上に同世代の兵士たちがどのような思いで死んでいったかが問われるべきだろう。戦後、時が経つに連れ、吉田は自ら死に直面した経験に距離をとり、他者の経験をたどり、理解しようとるす作業に取り組むようになる。それがまた、自己の経験をよりよく理解することにもなると考えたに違いない。ある時期から、吉田は他者を通しての自己理解という方向で多くの文章を書くようになっていく。
 たとえば、戦死した若者たちの手記や手紙などを数多く、また深く読み込み、彼らにとっての死の意味を明らかにしようとした一連の文章がある。神風特攻隊に入隊した林憲正は、入隊したての頃の日記には「私の心は悲しみに充ちている」とか、「死というものを脱却できない」などと書いていた。ところがやがて郷土の愛を守る決意を表明するに至る。吉田は「その変化の底にあるものを、汲みとらなければならない」という。何かを断念し、自己を超えた何かに向かわざるをえなくなるのだ。林の日記の記述は次のようなものだ。
 私は郷土を護るためには死ぬことができるであろう。私にとって郷土は愛すべき土地、愛すべき人であるからである。私は故郷を後にして故郷を今や大きく眺めることができる。私は日本を近い将来に大きく眺める立場となるであろう。私は日本を離れるのであるから。そのときこそ、私は日本をほんとうの意味の祖国として郷土として意識し、その清らかさ、高さ、尊さ、美しさを護るために死ぬことができるであろう。
 私はこんなことを考えてみた。そして安心したのである。まことに「私」の周囲のできごとは卑小である、私のこころは今救われている。朗らかである。
 私的な執着をいちはやく棄てざるをえない。それが避けられないことを受け入れたとき、転換が起こる。「一つのささやかな生命が失われることによって、より大きな生命、より深く広い可能性が護られることを期待する、その純一無雑な祈りの姿勢」が現れてくる。
 これらの作品を通して、吉田は死に直面した自らが生々しく見てしまったと感じた「虚無」について、また戦争末期に日本の若手士官が問うた戦争の意味・無意味についての問いをより大きな歴史的展望の下で捉え返そうとした。そのことによって、「戦艦大和ノ最期」とともに吉田が体験した死の深淵の意義が、またそこから現れてきた新たな死生観と倫理観の様相が、大きく変わってしまったわけではない。むしろ若き吉田が直観したものが、豊かな膨らみをもって描き続けられていったと言うべきだろう。


 

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