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倫理良書レビュー

倫理良書レビュー 2011年10月 島薗教授おすすめの図書



 加藤陽子著
 『戦争の日本近現代史――東大式レッスン!
  征韓論から太平洋戦争まで』
 講談社 2002年刊



 広島・長崎の原爆、そして日本だけで300万人を超える死者を出したアジア太平洋戦争について、私たちは二度とそういう過ちを起こしてはいけないと語ってきた。そのためにこそ戦争責任は明らかにされなくてはならないと論じられてきた。
 この度の福島第一原子力発電所の事故による巨大な災害が起こってから、この「過ち」や「責任」という言葉が私の頭のまわりを巡っているように感じている。その理由はある意味ではっきりしている。この原発事故は二度と繰り返してはならない人災であり、その責任はできるだけ明確にしなくてはならない。それはアジア太平洋戦争に続く、日本人自身による巨大な失敗だからだ。
 だが、それに加えてもう一つの声も聞こえてくる。これは広島・長崎の原爆に続く原子力が引き起こした巨大な苦悩であり損失だ。私たちは恐るべき核の災厄を被ったにもかかわらず、その過ちに学ぶことなくしょうこりもなく核による悲劇を繰り返したのだ。過去から学ぶ仕方を誤ったからこそ、私たちはヒロシマ・ナガサキに続いてフクシマの苦難をこうむらざるをえなかったのではないか。
 巨大な失敗を振り返り、二度と繰り返さないようにしたい。では、「過ち」をどのように明らかにし、どう「責任」を問うていけばよいのか。加藤陽子氏の『戦争の日本近現代史』は「戦争」を論題に一つのよき先例を示してくれている。加藤氏はここで明治維新後の対外戦争を全体として取り上げ一つの探究の道を示そうとしている。その後、同一主題を中高生向けに語った同氏の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社2009年)が小林秀雄賞を受賞しているが、大学生等が対象の『戦争の日本近代史』の方が叙述の密度が濃いので、ここではこちらを選んでいる。
 まず、そもそも「富国強兵」に人々が納得したのはどうしてだったか。何を怖れ、何を目ざしてそうなったのか。そして、朝鮮半島への軍事介入はなぜ必要と、また正当と考えられたのか。さらに、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争、太平洋戦争へと話は展開していく。近代日本史の重要な出来事が続くわけだから、おおよそその経緯は分かっているつもりでいたのだが、開戦を導くに至る政治家や軍人の判断、国民や論客が正当と受け入れた開戦の理由づけ等について、詳細な説明を読むと、確かにその当時にはその当時なりの「戦争を肯定するわけ」に一定の説得力があったことが理解できる。
 「あとがき」にあるように、その時代の文脈の中で戦争は「以前の地点からは、まったく予想もつかない論法で正当化され、合理化されてきた」。「社会を構成する人々の認識が、がらりと変わる瞬間がたしかにあり、また、その深いところでの変化が」あった。そして「やはりそれは一種の論理や観念を媒介としてなされたもの」であったことも見えてくる。
 著者はこの本を執筆するに際して、「『二度と戦争は起こさない』という誓いが何回繰り返されても、今後起こりうる悲劇の想定に際して、起こりうる戦争の形態変化を考えに入れた問題の解明がなくては、その誓いは実行されないのではないか」(山口定(やすし)氏)という問いかけが念頭にあったという。その時々の具体的な状況に即した「戦争を肯定するわけ」の解明によってこそ、「感傷主義でもなく、居直りでもなく、戦争や戦争責任を論ずることができるのではないか」というのが著者の考えだ。福島原発災害の問題を考え、事故に至る責任を問うときにもこうした態度は有効ではないだろうか。
 どの戦争をとっても、潜在的顕在的な敵国の攻撃的態度への警戒があり、それを考慮して国益を守ろうとする戦略観がある。敵国は帝国主義的な意図をもって東アジアに勢力を張ろうとしているのだから、それに対抗してこちらから大陸に勢力を張っていくことには一定の義があると思われたことは理解できる。当時の国際社会の基準から見て、大日本帝国の外交や戦争にはそれなりの正当性があったかに見える。少なくとも第一次世界大戦まではそのように推移した。著者は戦争に向かった日本政府の側にもそれなりの義があったという主張を、少なくとも一度は正面から受け止めるという姿勢で議論を進めている。
 事実、たとえば日露戦争については、内村鑑三や幸徳秋水らの非戦論があったが、今でも肯定論が優勢かもしれない。実際、多くの国民は開戦を支持した。開戦の大きな理由となったのは、ロシアの撤兵問題だ。義和団事件後にロシアが満州での通商貿易上の特権を得るとともに、軍事的にこれを支える構えを見せていた。これに対して、吉野作造は「吾人は露国の領土拡張それ自身には反対すべき理由なく、只其領土拡張の政策は常に必ず尤も非文明的なる外国貿易の排斥を伴ふが故に、猛然として自衛の権利を対抗せざるべからざる也」と述べている。文明対非文明の対立項が戦争の義を弁証する柱だったのだ。
 10年前の日清戦争の段階では、文明対非文明ではなく国家の独立と国権の拡張という考え方が支配的だった。日本では民権派も主に国権のための民権を主張していたので、「列強に対峙するための軍拡については、為政者と民権派のあいだに、基本的な対立は生じようはなかったはずだ」(p65)。この国権論的な立場が清国を中心とする華夷秩序の打破を東アジア諸地域のためにも是とする立場を導き、清国と朝鮮との関係を否定していくことに正当性を与えることにもなる。たとえば、1885年にはロシアとの対抗の意図でイギリスが全羅道沖の巨文島を占領するが、これはイギリスが清と朝鮮の宗属関係をうまく利用したものだった。こうした動きを見ながら、日本は朝鮮の独立を守るために清国中心の華夷秩序を超えなくてはならないという立場をとるようになっていく。
 まずは列強が代表する強い独立国家が競い合う国民国家の制度に伍すること、続いて文明対非文明の対立項に従い帝国主義的な拡張主義に負けずに進むこと、そして第1次世界大戦後は総力戦体制下で生き延びていくとともに人種差別を許さないこと――これらが「戦争を肯定するわけ」のおおよその変化だったと要約してもよいだろう。これは「列強」、つまり植民地主義に立つ側の論理をわがものとしつつ、近代国家としての地位を確保してきた大日本帝国の歴史ということになる。
 だが、もしこれだけであるとすれば、朝鮮・韓国や中国とのやりとりを軽んじた歴史像とならざるをえないだろう。確かにこの書物には、統合された国民国家・帝国主義国家同士の国際関係に主軸がある歴史像が描かれている。近代国家として戦争をどう正当化してきたかが主題なのだから、それも当然のことだろう。とはいえ、朝鮮、中国等を軍事的・政治的に支配しようとしたた歴史、それを是認してきた思想がどのようなものであったかもふれられていないわけではない。
 そもそも尊皇攘夷論を掲げていた倒幕の運動から生まれた維新政府が、攘夷論を引き下げるには論理の転換が必要だった。政府はそれをどう人々に説明したか。著者は吉野作造の解説をひいて、「夷狄」と思っていた列強への認識があらたまり、彼等にも「公道」の理念があることが分かったと説いたのだと示唆している。ともかく明治初期は諸列強の国際関係にならいつつ独立を守ることが課題で、そのためにたとえば普仏戦争の経緯から多くを学んだのだという。そこから、征韓論に話が転じていく。
 明治初期には征韓論に抑制が働いていた。一部の士族層のみの関心事だったと著者はいう。「しかし、征韓論など東アジアへの膨張論それ自体のもった意味については、検討を加えておく必要があるでしょう。征韓論の底流にある考え方の一つは、太平洋戦争まで一貫してみられる、対外膨張論の重要な要素であるからです。」ここで重要なのは、征韓論が王政復古と密接に結びついていたことだ。
(吉田)松陰は、列強との交易で失った損害を朝鮮や満州で償うべきであると論じつつ、国体の優秀性を皇統の永続性に見出し、天皇親政がおこなわれていた古代における三韓朝貢という理想のイメージに基づいて、朝鮮服属を日本本来のあるべき姿として描き出しました。木戸(孝允)は日記のなかで、「速に天下の方向を一定し、施設を朝鮮に遣し、彼無礼を問ひ、彼若不服ときは、鳴罪攻撃、其土大に神州の威を伸張せんことを願ふ」と述べています。(p44)
 著者はこの考え方は、「西洋列強の抑圧に抗して、日本を盟主にアジアの結集をうったえた」(平石直昭)アジア主義の源流となったものだという。実際にはアジアと同盟を組むアジア主義というより、宗教的国体論にのっとって精神的優越を掲げてアジアを力で従えようとし、「八紘為宇」にひきずられていったのだったが。
 では、この拡張主義的な思想的底流と、時代時代の「戦争を肯定するわけ」との関係はどこまで明らかにされているだろうか。著者の解説を読んでいくと、拡張主義は国民の側から求められる側面が強く、国民こそが自らの力の発露として戦争を望み戦勝を誇っていたとの印象が強く残る。たとえば日露戦争後の日比谷焼打事件について、著者は「戦争で疲弊した都市下層民の不満」の爆発と捉えるのでは不十分だという。日比谷公園が戦争中に祝捷会が盛んに行われていた場所でもあったことに注目すべきだ。  
そうであれば、自分たちがこれまで主体的に戦争にかかわって得た成果を、政府と全権委員会が台無しにしたことに対して、国民が呆然とした感覚を味わい、「国民の元気」で勝てた戦争はいったいどこへ行ってしまったのか、と失望感に襲われたために起こしたとみることができるでしょう。(p165)
 西洋列強との国際交渉の中で明らかにされていく「戦争を肯定するわけ」と、明治国家の民衆教化にそって形成されていった下からの拡張主義的国体論とはどのように関わり合っていたのか。本書の叙述で理解が深まるところが多々ある。だが、さらにこの主題に即して「国民の元気」の変遷に焦点を合わせ、そこから国際関係や軍事思想を見直していくことで、無謀な戦争を「二度と繰り返さない」ために何が必要か、いっそう明らかになってくるだろう。
 天皇制超国家主義の無責任体制を明らかにしようとしたのは丸山真男だったが、その後の世代の諸分野の学者達は、柳田国男らの研究に学びつつ天皇制国家の指導層と民衆の意識との関係についてさまざまな探究を行ってきた。「戦争を肯定するわけ」にもこの視角は有効だろう。それはまた、科学技術立国の理念が原発安全論に呑み込まれてしまったわけや、経済発展を望む国民が政財官学報の指導層を後押しして安易な原発推進路線をチエッックできなかったわけを問う際にも、大いに役立つ視点を提供してくれるに違いない。



 

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