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倫理良書レビュー

倫理良書レビュー 2012年6月 島薗教授おすすめの図書



 内村鑑三 著
 『後世への最大遺物』 便利堂書店 1897年刊
                 (岩波文庫 1976年刊)


 日清戦争開戦の1894(明治27)年、失業教員、内村鑑三は若いキリスト教徒を前に自由闊達に思うところを語った。97年に初めて刊行された際の当時の内村は教育勅語に拝礼しなかったという理由で一高教員の職を追われ、混乱の中で妻の死に見舞われた。その後、職を求めて大阪、熊本、京都を転々とする失意の生活の中、何とか折れそうになる心を立て直そうとしているところだった。
 この苦難を背負った内村が、やがて多くの前途有望な若者たちを奮い立たせるに至る。内村鑑三を慕う人々の中からは、日本の政治や文化を導く有力者が多数現れた。文部大臣――天野貞祐、田中耕太郎、森戸辰男、前田多聞、東大総長――南原繁、矢内原忠雄、宮内庁長官――田島道治、国連大使――沢田蓮三、衆議院議員――鶴見祐輔、東京府知事――河西実三等々。作家では、国木田独歩、正宗白鳥、小山内薫、有島武郎、志賀直哉等々。学界にはまたたいへん多くの「弟子」がいた。関根正雄のようなキリスト教学者だけではない。南原繁、田中耕太郎、矢内原忠雄はそれぞれ政治学、法学、経済学の重鎮だった。
 貧困の内に職を探していたひとりの知識人が、近代日本の精神文化を担う大指導者に転換していく。その謎を解く一つの鍵がこの書、『後世への最大遺物』にある。「この書」といったが、初版本には「内村鑑三口演」とあり、今ならさしづめ「講演筆記」だ。本文には時々「(笑声起る)」「(大笑)」などと挿入されている。聴衆の心をつかむ内村の人柄と才能(というよりも「カリスマ」というべきか)が忍ばれる、臨場感あふれるテクストだ。
 高崎藩の武士の子だった内村は、少年の頃から頼山陽の漢詩の、たとえば「千載列青史」という詩句に親しんでいた。歴史に名を残す大人物になろうとする志を育む言葉だ。「末は博士か大臣か」とか「立身出世」という言葉がボジティブな意味をもち、お国の発展に貢献することがきわめて高い名誉と考えられていた時代だった。内村もそうした空気を吸って育った。だが、やがて人生の挫折、重い失望・落胆・落ち込みを味わうとともに、単にキリスト教を信ずるというのではなく、この世の世界を超えて高い価値をもつ精神の世界があるという認識を深め、解りやすく説くようになる。多くの若者が哲学や文学や芸術に、そしてそれらのさらに上位にある宗教に親しむのが当然と考えられる時代が来る。内村はその教養主義の宗教観にある深みを与える役割を果たした。
 『後世への最大遺物』ではその経緯は詳しく述べられていないが、内村はキリスト教に接することによって「厭世的の考」が生じるようになったという。現世的な欲望を満たしたり、名声を求めることに意義はない、それは異教的な考えだと悟るようになった。そうした「肉感的」はものを根こそぎ取り去って、キリストによって天国に救われて未来永遠の喜びを得よう。このような考えに傾いていった。「此世の中に事業をしやう、此世の中に一つ旗を挙げやう、此世の中に立つ手から男らしい生涯をしやうと云ふ念がなくなつて仕舞ひました。」「坊主臭い因循的の考になつて来ました」pp.4-5(以下、ページ数は原著に従う)。
 しかし、考え直してみれば「千載青史に列するを得んと云ふ考は私はそんなに悪い考ではない。ないばかりでなくそれは本当の意味に取て見まするならば、基督教信者が持つて宜い考……持つべき考ではないか」と考えるようになった。pp.8-9 ここには儒教的な素養をもった武士が仏教に社会性に欠如を感じてきた、江戸時代以来の伝統が作用しているとともに、現世を変革していく力をもつ近代科学への信頼が反映もしているだろう。
 宗教を前提としても、来世を見すえるのではなくこの世で魂を磨いて、自らを高めていく必要がある。また、宗教を離れても、人として「清い欲」というものがあるはずだ。「此美しい国、此美しい社会、此我々を育てゝ呉れた山、河、是に私が何を遺さずに往つて仕舞ふのであるかと云ふ考です。」「私は茲に一つの何かを遺して往きたい。」「必ずしも後世の人が私を褒めたって呉れいと云ふばかりではない、私の名誉を遺したいばかりではない、唯々私が地球を愛し、私はドレ丈此世界を愛し、ドレ丈同胞を思ったかと云ふ記念物を置いて往きたい即ち英語で言ふとMementでござります。其メメントを遺して置きたいと云ふ考でござります。」p.10
 これは死を思うとき、多くの人の心に兆す思いかもしれない。本書が時代を超えて人々の心に訴えるものをもつのではないかと私は思うのだが、それは今引いたような一節にもよく現れている。では、人はいったい何を後世に遺すのか。まず出て来る考えは「金」だという。「後世に遺すものは、何んであったかと云ふと、私は実業教育を受けたものだから、勿論金が遺したかった、億万の富を日本に遺して、日本を救つて遣りたいと云ふ考でござりました。自分には明治27年になったら、夏季学校の講師に選ばれると云ふ考は、其自分にはチットもなかつたです。(満場大笑)」p.15たとえば、フォラデルフィアのディラードというフランスの商人は子どももなく妻も早く死んだが、ひたすら金を稼いで世界一番の孤児院を築こうとひたすら仕事に精を出した。
 だが、誰でも金をためる力を持っているわけではない。また何が何でも金を得ようとすれば無理が生じて、清らかでないことに向かわないとも限らない。そこで、次に考えるべきは金を使うこと、つまり「事業」を行うことだ。「ドウ云ふ事業が一番誰にも解るかと云ふと、土木的の事業です。私は土木者ではありませぬが、土木事業を見る事が非常に好きでござります。一の土木事業を遺すことは、実に我々に取つても快楽であるし、永遠の喜と、富を後世に遺すものではないかと思ひます」。p.31
 しかし、この事業を行うということも、地位や才能(内村は「天才」と述べているが、天賦の才能という意味)があって、あるいは友人や社会のサポートがあってこそ可能になることで、誰にでもできることではない。では、諦めるしかないのか。「夫故に私に事業の天才もなし、又位地もなし、友達もなし社会の賛成もなかつたならば、私は身を滅して死んで仕舞ひ、世の中に何も残す事は出来ないかと云ふ問題が起つて来る」。
 だが、そんな境遇にあっても、「私はマダ一つ遺すものを持つて居ます。何んであるかと云ふと、私の思想を遺して置きます。若し此世の中に於て私が実行する事が出来なければ、私は実行する精神を、其思想を筆と墨を以て紙の上に遺す事が出来る。或いは……私は青年を薫陶して私の思想を若い人に継いでサウして其の人をして私の事業をなさしめる事が出来る」。pp.41-42著述、文学、教育というような事柄を通じて、思想を後世に遺していくことができる。「金」、「事業」に続いて内村は「思想」をあげる。
 「思想」とか「文学」とかいうと難しいようだが、そうではない。「我々は我々の思ふ儘を書けば宜い」p.60。お手伝い(下女)の女性が気持ちを込めて書いたシンプルな手紙には「多くのりっぱな学者先生の文学」よりも喜んで見る。「心情に訴えるもの」だからだ。」実はここで内村はすでに「金」「事業」「思想」以上に大切な遺すべきものがあるという考えに踏み込み始めている。
 確かに「金」や「事業」と比べれば「文学」「思想」はやさしい。だが、「文学」や「思想」を強く後代に伝える人、たとえば文学者や学校の先生には誰でもなれるわけではない。それでは何も後世に遺すことができないと「悲嘆の声を発して……生涯を終る」ほかないのか。絶望は避けられないのだろうか。
 「然れども私は夫よりもモット大きい、今度は前の三つと違ひまして誰にも遺す事の出来る最大遺物があると思ふ」。p.68ではその「最大遺物」は何か。「夫(それ)は勇ましい高尚なる生涯だと思ひます」。「而して高尚なる勇ましい生涯とは何であるかといふと……即ち此世の中は此は決して悪魔が支配する世の中にあらずして、神の世の中であると云ふ事を信する事である。失望の世の中にあらずして、望みの世の中であることを信ずる事である、此世の中は悲みの世の中でなくして、喜びの世の中であるといふことを我々の生涯に実行して其生涯を世の中の贈物として此世を去るといふことであります。」pp.70-71
 具体的な例がいくつかあげられているが、わかりやすい例を紹介しよう。トーマス・カーライル(1795-1881)というイギリスの著述家のことだ。カーライルはライフワークとして『フランス革命』という大著を数十年かかって著していた。ところが、ある日、友達が借りて読んでいた原稿全体を無造作にテーブルに置いておいたところ、メイドが知らずに暖炉にくべて燃やしてしまった。コピーやファイルにとっておくなどということが考えもできない時代である。数十年の努力がすべてがゼロになってしまったに等しかった。カーライルはすっかり気落ちしてしまって十日ばかり何もできすボンヤリしていた。そして腹が立ってしかたがなかった。だが、そこで彼は我に帰ってある考えにたどりつき、自分自身に言い聞かせた。
 「トーマス・カーライルよ汝は馬鹿野郎である。汝の書いたFrench Revolutionはソンナに貴い者では無い。一番貴いのは汝が此艱難に忍んでサウして再び筆を執つて其を書き直す事である、其が汝の本当にエライ所である。実に其事に付て失望する様な人間が書いたFrench Revolution を社会に出しても役に立たぬ。夫故にモウ一度書き直せ」と云つて自分が自分を鼓舞して、再び筆を把つて書いた」。p.77
 これは私たちにも起こりそうなことで大したことがなさそうだ。だが、それだけになるほどと思うところがないだろうか。
 「其話は夫だけの話です、併し我々は其カーライルの心中に這入った時には、実に推察の溢るゝばかりであります。カーライルのエライ事はFrench Revolutionという本の為めにエライのではなくして、火に焼かれたのに再び其を書き直したといふのがエライ所である。若し其本がのこつて居たならば、或はのこつて居らずとも、実に後世への非常の遺物をのこしたのであります。」pp.77-78
 これはキリスト教信仰を背景にして述べていることだが、特定宗教の枠を超え、あるいは宗教を信ずるか信じないかを超えて妥当することと内村は考えている。「後世の為に私は弱い者を助けてやった」、「後世の為に私は是丈けの艱難に打勝つて見た」、「後世の為に私は是丈けの情実に勝つて見た」――こういう道を毎日歩むように心懸けてはどうか。そうすれば、
 「我々の生涯は決して五十年や六十年の生涯にあらずして、我々の生涯は実に水の辺りに植へた木の様なもので、段々々々芽を萌き枝を生じて行くものである。決して竹に木を接ぎ、木に竹を接ぐ様な少しも成長しない価値の安い生涯ではないと思ひます。サウ云う生涯は実に私が最大希望にして、私の心を毎日慰めて行き、且つ色々のことを務めて行く生涯であります」。pp.93-94
 明治の精神界の指導者の言葉だから、今から見るとその「勇まし」さや「高尚」さ、建設に向けた力強い前向き姿勢について行けないと感じるかもしれない。前途有望な若者に向けたメッセージなので、がんばりすぎ、元気よすぎとの感想もあるかもしれない。だが、挫折の中からかろうじて一歩をふみ出し、なお困難を背負って行かなくてはならない人たちの心に深く訴えるものがあるのではないだろうか。敗戦に続いて大きな挫折を味わいつつある私たちが、明治のリーダーたちから受け取ることができる、一つの「後世への最大遺物」が確かにそこに見いだせるのではないだろうか。

 

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