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倫理良書レビュー

倫理良書レビュー 2011年7月おすすめの図書



  鬼頭秀一著
  『自然保護を問いなおす──環境倫理とネットワーク』
    筑摩書房 1996年刊



 この本は副題に「環境倫理」とあるように「倫理」を主題としているが、人間同士の関係への問いが表題には出ていない。倫理とは人と人との間の事柄だとすれば、倫理そのものの中核とは異なる、人と自然の関係が取り上げられていることになる。とりあえず倫理としては特殊な狭い領域を扱った書物と受け取られるかもしれない。
 だが、実はそうではない。これが著者が言おうとすることの一つである。環境倫理は社会や経済に関わることであり、文化や宗教に関わる事柄なのだ。だが、もう一つ重要なポイントがある。それは「終章」にあるように、この書物は科学技術論の領域に独自の観点から切り込もうとするものでもあるということだ。
 2011年に日本人は人間と環境の関わりについてじっくり考えざるをえない経験をした。言うまでもなく3月11日の東日本大震災と津波による甚大な被害の経験である。だが、それに続く福島第1原子力発電所の事故による災害は、人間と環境の関わりを、現代の巨大な科学技術の作用と結びつけて考え直すことを私たちに強いている。
 1996年に刊行された本書だが、2011年の巨大な災害に苦しむ私たちに、大いに示唆するところがあるようだ。科学技術の発達が自然環境と人間の関わり方を大きく変えてきた。そのことは私たちにどのような影響を与えてきたか。この変化を理解することは、現代人の倫理や生き方に深く関わっている。
 本書は短い序章と終章にはさまれた3つの章からなっている。第1章は「環境倫理思想の系譜」と題されており、主として英語圏、さらにしぼれば北米(アメリカ合衆国)で展開してきた環境倫理思想の歴史を扱っている。
 人間が自然を支配することを善の源泉とするのではなく、自然それ自身の価値を見直して、人間の勝手な欲望への従属から守らなくてはならない。これが「自然保護」の思想だ。19世紀のデイヴィッド・ソロー(1817-62)に代表されるこうした思想は、その後さまざまな方向に分岐していく。
 あくまで人間に主体性があって、人間にとって役立つ限りでの自然を「保護」するという思想も根強い。他方、そのような人間中心主義的な考え方を超えて、自然がそれ自身の価値をもつとする思想が育ってくる。「自然保護」(conservation)から「環境主義」(environmentalism)への変容と要約される。
 新たな環境主義の思想の一つの形は「自然の権利」を主張するものだ。「動物の解放」を論じたピーター・シンガー(1973年)や、森林の法的権利について論じたクリソトファー・ストーン(1972年)はその代表的な論客だ。
 だが、自然の個々の存在に「権利」があるとするのではなく、自然の全体に価値があるとする立場もある。「環境倫理学」を名乗ったのはこの流れだ。それはまた、「保全」(conservation)に対して「保存」(preservation)を説く流れとも言える。これはまた個々の存在ではなく自然全体の価値を説く全体論の興隆とも関わっている。この思想系譜を代表するのは、「ランドエシックス」(土地の倫理)を説いたアルド・レオポルド(1887-1948)だ。この系譜からは、20世紀末になって、自然の中に霊性を認めるディープ・エコロジーの思想も登場する。
 このように欧米、とりわけアメリカ合衆国では、人間の側が守るという「自然保護」の思想、「保全」の思想に対して、次第に「原生自然」をそのまま全体を損なわないような形で「保存」することを説く思想が発展してくる。だが、とりわけアメリカで顕著な、人間に汚されていない「原生自然=ウィルダネス」というこの観念は、キリスト教の伝統を引き、またアメリカ的な環境に影響されたものではないだろうか。著者はこのように問いかける。
 ウィルダネス(wilderness)は聖書では「荒れ野」だが、それは「炎の蛇とさそりのいる、水のない渇いた、広くて恐ろしい荒れ野」(申命記8章15)であるとともに、イエスが「悪魔から誘惑を受けるために霊に導かれて荒れ野に」行くというように、試練にあって清められる場所でもある。西洋の、とりわけアメリカの環境思想において、この原生自然としての自然、つまり人間の生活から切り離された他者としての自然の観念が強いインスピレーションを与えてきた。
 だが、実際にはまったく人の手が入っていない自然は少ない。「人間の手がまったく入っていないような原生自然が存在しているとしても、現在地球レベルでその破壊が問題となっている自然は、原生的な自然とはいえ、何らかの形で人々の生活が絡み合っているところが大多数である。」「何らかの形で人間の手が入り、人々の生活が絡んでいるような自然を対象にして環境倫理を構想するためには、人間と自然との関係性、さらには人間の営み自体に目を向け、それを分析する必要があり、そこから出発しなければならない。」p113
 これが著者が構想する環境倫理の要の着眼点だ(第2章)。人間と自然は人間同士のつながりを介して関わりあっている。つまり、「社会的・経済的リンク」や「文化的・宗教的リンク」がある。これら人間の側の構築物をよく理解することなしに、人間と自然との関わりのあり方は十分に理解できないはずだ。しかし、実際には人間同士のつながりのあり方を捨象して人間と自然のあり方を考えてしまいがちなのだ。
 人間と自然とが理想的な形で交わる経験を夢想する思想系譜があり、環境倫理思想にも影響を与えてきた。だが、社会・経済や文化・宗教のあり方、またそれらに影響されて形作られている人間同士の関係を十分に考慮に入れてこそ、人間と自然環境とのよく関係のあり方が見えてくるだろう。
もう1つ、科学技術がますます発達し、その便益を享受するとともにそれに依存することも多い現代のような時代の人間と自然との倫理的関係を考える上でとくに留意すべき点がある。それは人間と自然とが多くの接触面をもち複雑な関係を保っている状態と、自然のある側面を人間の都合にあわせて切り取って、その断片との間で個別的な関係が結ばれているような状態の区別だ。これを著者「生身」と「切り身」という巧妙な比喩で捉えようとする。
 「生身」は「かかわりの全体性」を、「切り身」は「かかわりの部分性」を意味する。森で暮らしている先住民は、「生活者としての森」に関わっている。木材を輸入して建材として利用している人は森から作られた「切り身」に関わっている。熱帯林の保護を、観察者として主張することは、ある意味で「切り身」の関係を取り結んでいるのだが、「生身」としての熱帯林に華かわっているという錯覚を持ちやすい。
 近代化した社会でも、たとえば農業生活ではなお自然との「生身」の関係は残っている。しかし、全体としてみればますます「切り身」の関係が増えていく。だが、それはそれで自然の「保全」に貢献していくことができる。環境倫理は必ずしも、いつも「生身」の関係の回復を目指すものではない。登山や釣り、つまりは遊びの領域でも自然との親しい関わりのように「切り身」が優位の関係ではあるが、環境保全への願いと切り離せない活動領域もある。人々それぞれの生活形態、つまりは社会・経済的リンクや文化・宗教的リンクをよく見通しながら、環境保全のあり方を考えていくべきだ。本書の副題に「ネットワーク」の語が置かれている所以である。
 著者はこの考え方にそって、秋田・青森県境にある白神山地の環境保全運動について詳しく紹介している(第3章)。白神山地の豊かな森林資源を保全したいという思いは共有されていても、保全のための具体的な方策となると人々の生活形態によってだいぶ考え方が変わってくる。
 伝統的な生活様式では共用地、入会地(コモンズ)としての山に入り、ともに資源を活用しながら共同で環境保全にも気を配ることが多かった。しかし、これは近代的な法制度にそぐわないところもある。他方、個々人がそれぞれに法規範にのっとって、合理化された関与をするという関わり方もある。自然保全のためには入山を禁ずるという考え方も撮られよう。環境保全の意識はむしろ後者の人々の方が高い場合もある。
 前者は「生身」的な環境への関わり方が優勢なのに対して、後者は「切り身」的な環境への関わり方が優勢だ。どちらがよいというわけではないが、このような相違を十分に意識して環境保全に取り組むのがよい。少なくとも、後者の発想に偏ったアプローチにならないよう、「生身」の関わりがもつ可能性を忘れないようにしたい。著者自身、よく自覚していることだが、こうした著者の環境倫理の考え方には、どこか個よりも関係を重視する日本的な、あるいはアジア的な人間観、自然観が反映している。
 科学技術はひたすら「切り身」の関係を増大させていく方向に走る可能性もある。だが、それが人間同士の関係に大きな影響を与えていることに気を配り、「生身」の関わりを取り戻す可能性も視野に入れつつ、持続可能な自然との関わり方を求めていくべきだ。福島原発事故以後を生きる私たちは、科学技術と人間との関わりのあり方が、私たちの生存の根幹に関わるものであることを忘れることができない。科学技術が経済原理に引きずられ、「切り身」の関わりを極大化していくことが何をもたらすのか。環境倫理は自ずからこうした問いへも導いていくものである。



 

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