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倫理良書レビュー

倫理良書レビュー 2012年1月 島薗教授おすすめの図書



 加地伸之 著
 『儒教とは何か』 中央公論社 1990年刊


 倫理・道徳といえば儒教を思い浮かべる人は少なくないだろう。戦前、学校で暗誦させられた教育勅語では、「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ」とあり、さらに「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シコ器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ」等の教えが説かれ、これらが倫理・道徳の基本と考えられた。戦前はこの教育勅語の趣旨にそう「修身」の科目があったが、それにあたる戦後の科目は「道徳」や「倫理」である。
 そして、教育勅語に説かれる道徳の最初に出て来る「克ク忠ニ克ク孝ニ」、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」が、父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信を説く儒教の「五倫」に対応している(「君臣の義」は他の箇所に出て来る)と考えるのは自然である。五倫は関係の種別に応じた徳目の提示だが、それと並び称される五常は「仁義礼智信」であり、常識としてはこの五常五厘こそ儒教の教えの柱だと解されている。つまり儒教とは倫理・道徳の教えであり宗教ではないとするものだ。事実、大学の教室やカルチャーセンターのような市民教室で、「儒教は宗教と考えるか道徳と考えるか」を尋ねると大半の人が儒教は宗教ではないと答える。
 これに対して儒教は宗教であり、宗教であることこそ儒教の本来的な性格だとする捉え方がある。この儒教=宗教説もひとまとめにはできないが、読みやすく論じられているとともに、日本の文化を考え直す上でとくに示唆に富むのが本書である。
 加地氏は儒教には「宗教性」と「礼教性」(道徳性とほぼ同義)の両面があるという。では、儒教の宗教性は何に由来するか。死者に礼を尽くすこと、それによって死を超えて生命の連続性が保証されるところにある。すなわち祖先崇拝である。加地氏は東アジア(東北アジア)の文化の共通の基盤がここにあると論じる。

私はあくまでも、その家父長制・礼教性をさらに根本的に支える基礎である宗教性をこそ見るべきであると考える。つまり、儒教文化圏を歴史的に継続せしめてきた根本は、儒教の宗教性にある、と。
その儒教の宗教性とは、現世を快楽とする東北アジア人の現実感覚にふさわしい死ならびに死後の説明理論である。そしてそれは、具体的には祖先崇拝として存在する。この、祖先崇拝と結びつく宗教性に基づく儒教の政治的・文化的影響を、有史以来、今日に至るまで受けている中国・朝鮮・日本を一つの文化圏と考えることができる。このように〈孝とりわけ祖先崇拝を核とする儒教によって歴史的・宗教的に一体化されている文化圏〉というのが儒教文化圏の概念である。p40
 このような加地氏の儒教理解は、儒教の成立・発展の歴史的な理解と、死をめぐる宗教文化としての独特の儒教理解にそって論証されている。
 歴史的な理解という点では、加地氏は孔子以前に宗教的儀礼を司る存在として儒者のもととなる存在、すなわち「原儒」が存在したとする。『論語』「為政篇」には生前・死後の親への孝と礼を説いた次の一節がある。

生[生きている親]に(対して)は、これに事うるに礼をもってし、[親の]死に[対して] は、これを葬るに礼をもってし、[忌日などに、祖先]これを祭るに礼をもってす。p78
 では、このような礼を司るのはどのような人々だったか。それが「原儒」であり、孔子の母はそうした原儒のひとりだったという。だから孔子は子どもの頃から死を見慣れてきた。
 原儒の宗教性においては、死者の存在が身近に感じられてきた。だから、原儒の中にはシャマン的な機能も含まれていたかもしれない。だが、孔子はそうした側面は好まなかった。「子(孔子)は怪力・乱神を語(つ)げず」(『論語』述而篇)とあるとおりだ。そこで加藤常賢が「小人儒」が司る事柄とみた「祈祷ごと」の類は遠ざけられ、「君子儒」として政治や知識の側面での洗練の方向に向かった。そうした洗練の核心的な内容には、「仁」を倫理・道徳の普遍的な理念へと高めていくことも含まれていた。それまでの「仁」には特定の他者の自分への愛を期待し、迎合するような「消極的な小さな「愛」」の側面も含まれていた。

しかし、孔子は、「仁」をそうした消極的な愛とするのではいけないとした。もっと 積極的に他人を愛する在りかたでなくてはならないとしたのである。その議論が『論 語』の中に充ち充ちている。弟子に「仁」とは何かと問われたとき、孔子は、はっきりと答えている、「人を愛す」(顔淵篇)と。自分からの積極的な愛であるから、他人が自分に対してどうかという心配もない。「仁者は憂えず」(憲問篇)。その仁は、主体的なものであるから、実行にためらいはない。「仁[の実行]に当りては、師に[対して]も譲らず」(衛霊公篇)。こうした仁の様子は、弟子たちに脈々と受け継がれてゆく。(力をつくして行う)「力行[は]仁に近し」(『中庸』)と。p81
 この側面だけが強調されていけば礼教性が強調され、儒教はもっぱら倫理・道徳の教えという方向に進んだだろう。しかし、孔子や孔子学派はこの仁を孝と結びつけた。「仁は人なり」(『礼記』中庸篇)にはさまざまな解釈がある。「仁を行う方法は、人々と親しみあうしかたにある」とか、「仁とは、人間のしぜんな感情である」とされている。いずれにしろ、それは「親しい者へ最も愛情を注ぎ、親しさの程度が低くなるにしたがって愛情も薄くなってゆくということだ」とされる。だからすぐ続いて「親(親しい者)に親しむを大となす」と述べられている。

とすれば、仁愛の最高度は、親しい者への愛すなわち孝となる。孔子は言う、「孝・  弟(弟とは悌のことで、年少の者が年長の者によく従うこと)は、仁の本なり」(『論 語』学而篇)と。
そうすると、ここで、仁が孝[悌]に基礎づけられたことになる。p83
 孔子の弟子で孝をとくに重んじたのは曽子だが、曽子は死に臨んでその弟子たちに「予(わ)が足を啓(ひら)け。予が手を啓け」(『論語』泰伯篇)と言い、身体が完全で傷つけていないことを見せ、それを誇った。

曽子は言う、自分は「戦戦兢兢として、薄氷を履(ふ)むがごとく」注意深くこの身体を傷つけないように生活してきた。なぜなら、自分の身体は父母の遺体(なきがら)だからである、と。
 『孝経』は曽子の学統による述作されたものとされるが、そこには「身体髪膚、これを父母に受く。あえて毀傷せざるは孝の始めなり」とある。p67 これが丁寧な葬儀やその後の祖先祭祀につながるものであることは明かだろう。加地氏はそこに「孝の生命論」を読みとる。
 孔子は礼についても詳しく述べたが、死後の喪はとくに重んじられた。「父、在せば、その志を観、父没すれば、その行ないを観る、三年父の道を改むることなきは、孝と謂うべし」(『論語』学而篇)と。p60 孔子自身は早くから両親を失っていた。その孔子がかくまで孝を尊んだのはなぜか。

私は、孔子が孝を重視したのは、時代の意識の単なる反映ではなくて、もっと主体的な自覚があったのではないかと思う。当然、その自覚に至る契機が必要である。それはいったい何であったのだろうか。結論を先に言えば、それが死であると考える。(中略)
孔子のこうした死の意識は、観念の上だけのものではない。現実に意識するできごと があった。それは、七十数歳の最晩年を迎え、実子の伯魚を病気で失い、最愛の弟子の顔淵や子路が先立っていったのである。これら一連の事件は非常に重要である。顔淵の死に際して孔子の、「ああ天、予を喪(ほろ)ぼせり。天、予を喪ぼせり」(先進篇)という悲痛な歎きは、『論語』を読む者をして粛然とせしめる。
死の意識――これこそ孔子をして孝の自覚に至らしめた最大の契機であったと考える。p63
 こうした加地氏の考えに全面的に賛同するかどうかは別として、儒教が死を超えて生命の連続を実感させる礼の秩序を尊んだこと、そこに儒教の宗教性のひとつの源泉があること、また儒教文化圏の庶民はこの側面で強い儒教の影響を受けて現在に至っていること――これらについての加地氏の指摘はもっともな点が多い。
 加地氏は孔子以後、儒教は国家と結びついて政治的な側面を深め、官僚や知識人中心の経学を作り上げていったことを強調している。そのため儒教は礼教性を強めるようになり、宗教性が背後に隠れるようになっていった。礼教性を尊ぶ知識人の儒教と家族の連帯と宗教性を尊ぶ民衆の儒教との間に分裂が生じるようになった。その詳しい叙述は省くが、(一)発生期の原儒時代、(二)儒教理論の基礎づけをした儒教成立時代、(三)その基礎理論を発展させた経学時代についてのまとめの部分を引用しよう

要するに、儒教は礼教性(表層)と宗教性(深層)とから成り立っており、大きく言 えば、(一)は、礼教性と宗教性との混淆時代、(二)は、両者の二重構造の成立時代、(三) は、両者の分裂とその進行との時代である。その礼教性は公的・社会的(ただし、家 族外が中心)・知的性格を有し、知識人(読書人)・官僚(士大夫)を中心として深 化した。一方、宗教性は私的・社会的(ただし家庭内が中心)・情的性格を有し、一 般庶民を中心に受け継がれてきた。ただし、礼教性と宗教性とは、家族論において重 なりつつ、つながっている。p220
 このような儒教の歴史の全体像にそって、日本での儒教の歴史をどう見るかも示唆されている。日本では「儒教」と意識されたのは知識人や官僚の礼教的儒教の側面だった。他方、宗教的な儒教は仏教と習合して懇(ねんご)ろに行われる葬祭に潜んでいる。だから、日本では儒教の形は見えないし、自らを語らない。日本だけでなく儒教は後代になって「沈黙の宗教」という性格をもつようになったが、それはとくに日本で顕著な特徴だ。
 加地氏の儒教理解はきわめてユニークで啓発的だ。それは私たちが倫理・道徳をどのように考えてきたか、宗教をどのように考えてきたかを見直す上でも大いに助けになるものだ。また、日本人は自らの生活の基盤となる精神文化の土台を見直す上でも示唆するところが少なくない。倫理・道徳と死生観が密接に関わりあっているとの視点は重要だ。現代の生命倫理や環境倫理の諸問題を考察する上でもぜひ参考にしたい書物である。

 

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