倫理良書レビュー 2012年4月 島薗教授おすすめの図書
「しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。」 「これは我々日本人が歴史上体験する、2度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう? 理由は簡単です。『効率』です。」
――海辺の郷本(ごうもと)という所に人の住まぬ庵があったが、ある夕方旅の僧が一人来て、隣家に断りを入れてその空庵に住みついた。翌日から近くの村々に托鉢に出かけて、その日の食を得れば戻ってくる。いただいた食が余るときは、乞食だの鳥獣だのに分ち与える。このようにして過すこと半年ほどになると、人びとはいまどき珍しい人だとし、その徳を讃えて、衣類なぞ贈る者もある。が、それも頂いて余るものは、街で凍えている者に与えてしまう。p.71す。」p.169
只、心を世事に執着すること莫(なか)れ、一向に道(どう)を学すべきなり。仏の言(のたまわ)く、衣鉢(えはつ)の外(ほか)は寸分も貯へざれ。乞食(こつじき)の余分は餓(うえ)たる衆生に施せ、設(たと)ひ受け来(きた)るとも寸分と貯(たくわ)ふべからず。p.73
世間の人はなんらかの自己以外のもののためにあくせく生きているように見える。自分の属する組織の利益のため、組織の中での自分の地位・身分・収入を向上させるため、家族のため、権力を得るため、金を得るため、名誉を得るため、有名になるため、人よりすぐれた生活を誇るため、等々。しかし、そういう世俗のための営みは、ついに心の平安、満足、充足、幸福をもたらすことはない。なぜならそれはすべて自己の外にある物だからだ。物をいくら得たところで、所詮は自己の心の外にある物である。p.60-61
欲なければ一切足り/求むる有りて万事窮す淡菜(たんさい) 餓(うえ)を癒(いや)すべく/納衣(のうい) 聊(いささ)か躬(み)に纏(まと)う/独往(ひとりゆ)きて糜鹿(びろく)を伴(とも)とし/高歌して村童に和す/耳を洗うー(がん)下の水/意(こころ)に可なり嶺上の松 p.167
そうすれば粗末な食い物でも空きっ腹にはうまく味わわれるし、ボロでも寒さふさぎに役立つ。とにかく欲がないから自由で、天下に自分を拘束するものはない。そこで気のむくままに山林に入っては鹿と遊んだり、村に出かけては子供と毬つき歌を高らかに歌う。名利を求める心がないから、何をしても自由なのだ。世間のいやなことを聞いたら、堯帝から天下を讓ると聞いて耳がけがれたと、許由が穎(えい)水で耳を洗ったという故事さながら、崖の下の清い水で耳を洗う。そして嶺に鳴る松風の音を聞いて、気持を清らかにする。p.168
こどもらと手まりつきつゝこの里に遊ぶ春日はくれずともよし つきてよひふみよいむなやこことのと十とをさめてまたはじまるを 久方の長閑き空に酔ひ伏せば夢も妙なり花の木の下 さすたけの君と語りてうま酒にあくまで酔へる春ぞ楽しき
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