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倫理良書レビュー

倫理良書レビュー 2012年4月 島薗教授おすすめの図書



 中野孝次 著
 『風の良寛』 筑集英社 2000年刊、文春文庫版 2004年刊


 作家の村上春樹は2011年、カタルーニャ国際賞を受賞し、6月10日バルセロナで記念スピーチ「非現実的な夢想家として」を行った。そこで村上は忍耐強い日本人の美点について述べた後で、原発災害については、日本人は腹を立てるべきだと述べている。だが、「腹を立てる」相手として考えられているのは、事故の因を作った責任者や安全神話をふりまいてきた原子力ムラの人々だけではない。
 「しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。」
 「これは我々日本人が歴史上体験する、2度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
 理由は簡単です。『効率』です。」
 私たちは快適さを求め、最大の効率を求めて原子力発電推進に賛成、あるいは黙認してきた。また、コスト削減のために十分に安全性を高めることをせずに、利益極大化のために宣伝などの経費を用いるのを容認してきた。これは私たちの倫理や規範の問題ではないか、そしてモノやカネのあり余る生活と高い効率の追求に血道をあげてきたためではないか――作家はこう問いかけている。
 同様の問いかけは全日本仏教会が2011年12月1日に公表した宣言文「原子力発電によらない生き方を求めて」にも見られる。
 「私たちは もっと快適に、もっと便利にと欲望を拡大してきました。その利便性の追求の陰には、原子力発電所立地の人々が事故による「いのち」の不安に脅かされながら 日々生活を送り、さらには負の遺産となる処理不可能な放射性廃棄物を生み出し、未来に問題を残しているという現実があります。(中略)
 誰かの犠牲の上に成り立つ豊かさを願うのではなく、個人の幸福が人類の福祉と調和する道を選ばなければなりません。そして、私たちはこの問題に一人ひとりが自分の問題として向き合い、自身の生活のあり方を見直す中で、過剰な物質的欲望から脱し、足ることを知り、自然の前で謙虚である生活の実現にむけて最善を尽くし、一人ひとりの『いのち』が守られる社会を築くことを宣言いたします」。
 福島原発災害後になされたこうした倫理的反省は、どれほどの奥行きをもつのだろうか。災害後のショックの中での一時的な反省に終わらない長期的展望をもちうるものだろうか。
 このような問いを深めていくのに役立つと思われる書物の1つとして、中野孝次の『風の良寛』を取り上げたい。この書物は2000年に著されたものだが、東日本大震災と福島原発災害の後に読み、味わい直してみる価値があると思う。
 良寛(1758-1831)は越後の出雲崎の橘屋の屋号をもつ名主、山本家に生まれたが、若年で出家し、曹洞宗の僧侶となった。備中玉島の円通寺と修行し、各地を遊行した後、48歳以後は故郷近くの閑静な場所に庵を設けて独居した。地域の豊かな文人らと交流しながら、漢詩や和歌、書などを遺した。『風の良寛』は良寛が故郷に隠棲した折の様子に注目している。『北越奇談』(橘崑崙)に次のようにあるとおりだ。
――海辺の郷本(ごうもと)という所に人の住まぬ庵があったが、ある夕方旅の僧が一人来て、隣家に断りを入れてその空庵に住みついた。翌日から近くの村々に托鉢に出かけて、その日の食を得れば戻ってくる。いただいた食が余るときは、乞食だの鳥獣だのに分ち与える。このようにして過すこと半年ほどになると、人びとはいまどき珍しい人だとし、その徳を讃えて、衣類なぞ贈る者もある。が、それも頂いて余るものは、街で凍えている者に与えてしまう。p.71す。」p.169
 良寛は曹洞宗の祖、道元の『正法眼蔵』を尊んだ。道元の教えの根幹は古仏の実践したとおりの仏道に徹することである。それは無一物、無所有を生きるということだ。道元の言葉を記した『正法眼蔵随聞記』には次のようにある。
只、心を世事に執着すること莫(なか)れ、一向に道(どう)を学すべきなり。仏の言(のたまわ)く、衣鉢(えはつ)の外(ほか)は寸分も貯へざれ。乞食(こつじき)の余分は餓(うえ)たる衆生に施せ、設(たと)ひ受け来(きた)るとも寸分と貯(たくわ)ふべからず。p.73
 このような生活形態を取るのはなぜか。それは「真実の自己になる」「自己の真実を活かす」ためだと道元は説く。良寛はその教えに従っているのだと中野は捉える。
世間の人はなんらかの自己以外のもののためにあくせく生きているように見える。自分の属する組織の利益のため、組織の中での自分の地位・身分・収入を向上させるため、家族のため、権力を得るため、金を得るため、名誉を得るため、有名になるため、人よりすぐれた生活を誇るため、等々。しかし、そういう世俗のための営みは、ついに心の平安、満足、充足、幸福をもたらすことはない。なぜならそれはすべて自己の外にある物だからだ。物をいくら得たところで、所詮は自己の心の外にある物である。p.60-61
 だが、第2次世界大戦後の日本の高度成長期とは、まさに自己の外の物の追求に追われていた時期ではなかったか。欲に取りつかれていたのだ。良寛の漢詩や和歌はそのような欲にとりつかれた生き方を超える境地を示している。
欲なければ一切足り/求むる有りて万事窮す淡菜(たんさい) 餓(うえ)を癒(いや)すべく/納衣(のうい) 聊(いささ)か躬(み)に纏(まと)う/独往(ひとりゆ)きて糜鹿(びろく)を伴(とも)とし/高歌して村童に和す/耳を洗うー(がん)下の水/意(こころ)に可なり嶺上の松 p.167
 中野孝次は欲に駆られ物にとりつかれて「万事窮す」となることを、時代経験になぞらえる。「物などはいかに所有したところで幸福とはなんの関係もないとわかるには、1990年ごろにバブル経済がはじけて、すべてが空になったときまで待たなければならなかった。そのときになってやっと多くの日本人は、物を追うことの空しさに気づいたのだ。」「良寛のような昔の乞食僧が、少しずつ見直されだしたのはそのことからである」(p.61)では、どうすればよいのか。「その欲を元から断つのである」(p.168)。
そうすれば粗末な食い物でも空きっ腹にはうまく味わわれるし、ボロでも寒さふさぎに役立つ。とにかく欲がないから自由で、天下に自分を拘束するものはない。そこで気のむくままに山林に入っては鹿と遊んだり、村に出かけては子供と毬つき歌を高らかに歌う。名利を求める心がないから、何をしても自由なのだ。世間のいやなことを聞いたら、堯帝から天下を讓ると聞いて耳がけがれたと、許由が穎(えい)水で耳を洗ったという故事さながら、崖の下の清い水で耳を洗う。そして嶺に鳴る松風の音を聞いて、気持を清らかにする。p.168
 漢詩は豊かな古典の教養なくては味わえずやや難しいが、和歌は分かりやすい。
こどもらと手まりつきつゝこの里に遊ぶ春日はくれずともよし
つきてよひふみよいむなやこことのと十とをさめてまたはじまるを
久方の長閑き空に酔ひ伏せば夢も妙なり花の木の下
さすたけの君と語りてうま酒にあくまで酔へる春ぞ楽しき
 このような境地を尊ぶことと福島原発災害後の生き方を展望することは、確かに対応しあうことのように思われる。原発災害を起こすに至った日本の、また世界の現代政治経済構造を見直し、それと結びついていると考えざるをえない現代人の生き方を考え直そうとするとき、良寛の生き方や詩歌の言葉から教えられることは多い。中野孝次氏の良寛論は3.11に先だってそれを見抜いていたかのようだ。
 最後に私自身の考えだが、良寛にとっては子供たちと手毬をつくことと教養ある人士と詩歌を交換しあうことが、どうも似たことと感じられていたのではないか。良寛の仏道や文学の素養はきわめて高い。それを理解し合い楽しみ合う俗人仲間がいたからこそ、良寛は越後に隠棲できた。良寛は西行と同じく山から里に下りた聖(ひじり)のひとりだ。高い学問的人文的素養を通して感じられる聖の自由とは、手毬をついて遊ぶ子供の自由をわがものにすることでもあった。
 だからこそ良寛は俗人とともに楽しむ技芸の世界を尊んだのではなかったか。「欲を断つ」といってもそうかんたんにすべてを捨てることはできないような気がする。たとえば、すぐれた詩歌を楽しむのは欲から切れた次元の心の働きではないだろう。子供の場合、無心に遊ぶことにこそ欲が向かっている。厳しい庵の生活に耐えた良寛だが、それは徹底して古仏に従うとともに、子供らとともにある生の肯定にも通じるものだった。
 「今良寛」がいるのなら、原発被災地の子供たちの保養プログラムに取り組んでいるかもしれない。そうしながら、深い心の安らぎと子供の生の流露との一致をこともなげに実演して見せてくれることだろう。その場合、最後にあげた私のコメントの数行は理屈に走った駄弁にすぎないことになる。
 

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