倫理良書レビュー 2013年2月 島薗教授おすすめの図書



 C.P.スノー 著
 『二つの文化と科学革命』(松井巻之助他訳) みすず書房
            2011年刊 (初刊、1967年、原著第2版、1964年)


 「二つの文化」(The Two Cultures)というのは、それぞれ「文学的知識人」と物理学者を典型とするような「科学者」の知的世界を指す。スノーはこう述べている「全西欧社会の人びとの知的生活はますます二つの極端なグループに分れつつある。」(9ページ)「そしてこの二つの間をお互いの無理解、ときには(若い人たちの間では)敵意と嫌悪の溝が隔てている。だが、もっとも大きいことは、お互いに理解しようとしないことだ。彼らはお互いに、相手にたいして奇妙な、ゆがんだイメージをもっている。彼らの態度はまったくちがっているし、情緒をくらべてみても、あまり共通なものはない。」(10ページ)
 「二つの文化」はこんなふうにも描かれている。「非科学者たちは、科学者は人間の条件に気がつかず、浅薄な楽天主義者であるという根強い印象をもっている。一方、科学者の信ずるところでは、文学的知識人はまったく先見の明を欠き、自分たちの同胞に無関心であり、深い意味では反知性的で、芸術や思想を実存哲学の契機にだけかぎろうとしている。」(12ページ)
 20世紀の中頃のイギリスの(また、少し広げて西欧の)状況を描き出したものなので、たとえば「文学」とか「実存」が強調されている。21世紀初頭の今(の日本)との時代の相違を感ずる読者も多いだろう。だが、「文学的知識人」と「科学者」という対立項を、「文系」と「理系」、「人文学的文化」と「自然科学的文化」の対立項に置き直してみると、今でもおおよそ似たような「二つの文化」があると感じる読者も少なくないのではないか。今では計量的な社会科学や心理学、あるいは情報科学や応用倫理や科学論のような境界領域の学術分野が広く存在するようになっており、二つの文化の境界線はだいぶ目立たぬものになっている。だが、この書物が今も世界中で読み継がれていることは、「二つの文化」という視点がなお一定の有効性をもつことを如実に示していると思う。
 著者があげる次の例は、今でもたいていの先進国で聞くことができそうな話だ。

私はよく(伝統文化のレベルからいって)教育の高い人たちの会合に出席したが、彼らは科学者の無学について不信を表明することにたいへん趣味をもっていた。どうにもこらえきれなくなった私は、彼らのうち何人が、熱力学の第二法則について説明できるかを訊ねた。答えは冷ややかなものであり、否定的でもあった。私は「あなたはシェイクスピアのものを何か読んだことがあるか」というのと同等な科学上の質問をしたわけである。もっと簡単な質問「質量、あるいは加速度とは何か」(これは、「君は読むことができるか」と いうのと同等な科学上の質問である)をしたら、私が彼らと同じことばを語っていると感じた人は、その教養の高い人びとの十人中の一人ほどもいなかっただろうと、現在思っている。このように現代の物理学の偉大な体系は進んでいて、西欧のもっとも賢明な人びとの多くは物理学にたいしていわば新石器時代の祖先なみの洞察しかもっていないのである。(24-25ページ)
 なかなか辛辣で鋭い。では、どのような背景からこのような書物が生まれたのか。著者の経歴のあらましを見ることでいくらかなりと理解が深まるかもしれない。
 著者のC.P.スノー(Charles Percy Snow)は、1905年、イギリス生まれの作家として知られている。20代から作品を公表し、1949年から20年以上をかけて発表された大河小説『他人と同胞』(Strangers and Brothers)が主著だ。他方、彼はケンブリッジ大学で物理学を学び、その後、科学の知識を生かして企業や政府で行政的な仕事に携わってもいた。イギリス電力会社重役(1945年 - 1960年)、科学技術大臣の議会秘書(1964年 - 1966年)などである。1980年に亡くなっている。
 現在、英国のみならず世界中にスノーの名を知らしめているのは、この文学と科学という二つの世界に関わりをもっていたスノーならではの講演、すなわち「二つの文化」と題されたケンブリッジ大学でのリード講演である。1959年に行われ、その年の内に書物として刊行されたこの講演は、爆発的な反響をよんだ。スノーはすでに1956年に「二つの文化」という文章を発表しており、他にも同じ論題を論じた人がいるとしているが、大反響を巻き起こしたのは59年の講演とそれに基づく書物だった。著名な学者や作家らがこの本について活溌に論じ合ったのだ。そこでスノーは、著名な書評誌『エンカウンター』(1960年2月号)に「「二つの文化」にたいする批判への答」を公表する。さらに1963年には「その後の考察」と題された文章も書かれる。これら3編を収録したのが『二つの文化』第2版(1964年)である。
 日本語訳は『二つの文化』とせずに、『二つの文化と科学革命』と題している。この「科学革命」は、リード講演の4つの節のうち第3節の題をとったものだ。そこでは「科学革命」が「産業革命」と対置されて説明されている。「産業革命」は18世紀半ばから20世紀初頭に起こった。それによって農業から工業や製品販売に関わる仕事へと多くの人びとが転じた。これに対して「科学革命」では、「科学そのものの工業への応用から生まれ」る変化で、大規模で急速な変化が起こりつつある。では、いつから「科学革命」は起こったか。60年ほど前、つまり19世紀末からと見る人もいるが、著者は3,40年前、すなわち20世紀の初期と見ている。
 スノーは「そして大ざっぱ定義として、それは原子的な粒子が最初に工業的に利用されだした時期であるとしたい」としている(45ページ)。「科学革命」というとふつうニュートンらが出て近代科学の基礎が作られ、世界像の変化が生み出された17世紀の事態を指すのに用いられるが、著者の用法はそれとは異なっている。だが、科学が産業・経済と密接に結びつくものとなり、人類の生活を日々刻々変えていく作用をもつようになったことを指すこの用法も理解できるものだ。著者は基礎科学と応用化学との開きについても述べている。基礎科学者と応用科学者や技術者では、また文化がだいぶ異なっている。これも現代社会の大きな問題だ。著者自身、応用化学分野に親しんだことで大いに教育的な恩恵に浴したと述べている。
 「二つの文化」を論じる上で、なぜ「科学革命」を問題にする必要があるのか。エリート(知識人)も市民ももっと科学を学ばなくてはならない。それも応用科学までも含めた科学について、政治家も人文系の学者もそして新しい世代の子どもたちにもっと教育しなくてはならない。これが著者の主要な主張点だからだ。著者はソ連やアメリカなど他の国と比べて、イギリスの教育が科学を軽視していないかと問うている。こうなると「科学革命」の時代の「国家戦略」といった昨今繰り返し聞かされている話の魁なのかと思われてもくる。
 そのことを意識しながら、著者はそれを人類全体の福祉の問題だと論じていく。もとの講演の第4節は「富めるものと貧しいもの」と題されている。そこでは、貧富がはなはだしく開いている現状を克服していくことができるのは「科学革命」を押し進めることによってだと論じられている。
 科学革命は不可避のものである。インド、東南アジア、ラテン・アメリカ、中東で五十年以内に科学革命を遂行することは技術的に可能である。西欧人がこれを知らないという口実は立たない。そしてまた、科学革命こそわれわれの行く手に立ちはだかる三つの脅威、水爆戦、人口過剰、貧富の差、から逃れる唯一の方法であることを知らないといっても、口実にはならない。これは極悪の罪悪が罪とされないでいる場合の一例といえよう。
富んでいる国と貧しい国との開きは取りのぞくことができるものであるから、その開きはなくなっていくであろう。われわれが、好意とか、公明正大な自分の利益ということが考えられないほど近視で、愚かだとしたら、それを取りのぞくためには戦争と飢えを招くかもしれないが、いずれにしてもそれは取りのぞかれるであろう。(64ページ)
 著者は「科学と結びついた産業の発展によって貧富の差は取りのぞかれるだろう」と信じているようだ。今、読むとそれは楽観的すぎてやや説得力に欠ける。
 この時代には確かにそうした希望があった。だが、当時もそんなにうまく行くかどうか懐疑的な見方があった。そしてそこで楽観的な見方をとるか、悲観的な見方をとるかが「二つの文化」をどう見るかの分かれ目にもなっていた。著者はそのことに自覚的で、「二つの文化」の主要な対立点は、社会の未来について楽観的か悲観的かという点に由来すると見ている。これについて、著者は文学的知識人の側の誤解があると論じている。先にも引いたように、「非科学者たちは、科学者は人間の条件に気がつかず、浅薄な楽天主義者であるという根強い印象をもっている」と述べた後、こう続けて行く。(中略)
いつの時代にも、もっとも鋭い非科学者たちがこの非難を続けているが、それは個人の体験と社会の混同、人間個人の条件と社会の条件との混同によるものである。私の親しい非科学者たちも同様に、深く感じている。われわれは誰もが孤独である。ときには愛情や創造的な契機によって孤独から逃れることもあるが、このような人生の勝利もわれわれが自分ひとりのためにつくる光のたまりであって、道の両側は真暗である。けっきょくは、だれもが独りで死んでいく。(中略)
だが科学者の大部分は、個人の条件が悲劇的であるというそのことだけから社会の条件が悲劇的でなかればならないということの理由がでてくるとは思わないであろう。  (12-13ページ)
 他方、文学的知識人の一部が悲観的な人間観から、ナチスに共鳴するような反知性的、反社会的な方向に向かうこともまま見られると著者は論じる。それは科学者が文学的知識人に対してもつ疑いの有力な根拠となっている。文学的知識人は確かにそういう例があることをいさぎよく認めた方がよい。文学的知識人が最低限の生活水準のような共通の幸福の基準をとるに足りないもののように見て、「科学革命」によってこそ生活水準を引き上げることができることを軽視するのも適切でない。こう論じていく。
 結局、著者は科学者の文化に分があることを認めるよう、文学的知識人に迫っている。科学の素養の乏しい当時の西欧の知識人にはそれが気に障った。そこでこの書物をめぐって大きな議論が湧き上がった。その後の歴史の展開を見ると、文系の学者が科学リテラシーを高めるべきだし、もっと科学教育を充実させるべきだという著者の主張は当然のことと見られるようになり、実際、ある程度実現してきたかもしれない。だが、それでも「二つの文化」の対立は続いている。福島原発事故やiPS細胞研究の推進のようなニュースが毎日のように伝えられる今日、著者が目指した「二つの文化」の間の交流・対話は、さらにいっそう求められるものになっている。
 だが、他方、「科学革命」をどう見るかについては、この書物が目指す論理の射程ではもの足りないものがあるのも確かだ。「科学革命」が人間の福祉を阻害する方向に働きかねない例が数多く見られるからだ。たとえば著者は、「科学革命」の重要な要素として原子力の利用をあげていた。だが、原子力利用が将来世代にどれほどの容易ならぬ負荷をもたらすかという問題にはまったく思い至っていなかった。生命科学が次々に生み出す倫理問題も視野に入ってはいない。
 この本の初版が出てから50年以上が経過したが、その間の経験を踏まえて、今日もなお続く「二つの文化」問題について、さらに深く考えていきたい。その際、本書はなお行く手を照らしてくれる光源の一つとなるだろう。科学技術が人間のいのちにもたらす恵みと脅威をめぐる倫理問題――その先駆的な論著の一つと位置づけることもできるだろう。

付記:引用ページ数は、第2版によっています。

 

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