倫理良書レビュー 2013年7月 島薗教授おすすめの図書



 ジャン・バニエ 著 (原田葉子 訳)
 『暴力とゆるし』 女子パウロ会 2005年刊(原著、2003年)


 ジャン・バニエ(Jean Vanier、1928- )というカナダ人が1964年にフランスのパリ近郊の村、トローリー・ブルーユで始めた「ラルシュL’Arche」という共同体がある。「ノアの方舟(はこぶね)」の「方舟」の意。知的障害のある人々と共同生活を行う。バニエは人の助けを必要としている弱い障害者から、生きる上でもっとも大切なことを学んできたという。
 その経験は多くの著書によって伝えられ、共鳴をよび、ボランティア(「アシスタント」とよばれる)としてコミュニティに参加する人も多い。バニエはカトリック教徒であり、この運動はキリスト教がベースだが、宗教や文化の壁を越えて世界数十か国に広がり、諸宗教の人々が関わってきた。日本にも静岡に「かなの家」がある。
 バニエの9.11後の著書、『暴力とゆるし』は「平和」を主題としたもので、3.11後、また東アジアの緊張状態のもとで平和を考える助けになる。バニエの著書にはキリスト教徒に語り掛けたものも多いが、この書物では宗教の違いを超えて意義ある知恵を語っている。同じくキリスト教の枠を超えた読者を想定している『人間になる』(浅野幸治訳、新教出版社、2005年)とともに、多くの日本語読者の心に届きやすい内容だ。ちなみに『人間になる』には哲学者の岩田靖夫氏が以下のような紹介文を寄せている。
現代は壊れた世界。至るところに、分裂と孤独と絶望がある。人間の幸せとは、強者となって争いに勝つことではなく、他者に心を開くこと、弱者となってありのままに生きることである。そう語るバニエの言葉には、知的障害者たちと生きてきた長い経験から生まれた確信と喜びが満ちていて、読む者の心を打つ。
 『暴力とゆるし』では、バニエは9.11の後の 祈りの集いに参加した経験から語り起こしている。当時のアメリカ合衆国では対テロ戦争へと向かっていく愛国の情熱があふれていたことを思い出しておこう。
こうした祈りの夕べに参加したわたしは、少々居心地の悪さを覚えたのでした。わたしには人びとが、国民や国家間に新たな良き秩序が生まれることを祈っているようには感じられなかったのです。自分たちの暮らしや世界観を揺るがすような変化、あるいは危険を受け入れることができず、現在の自分たちの生活が保てなくなる不安から、ただ祈っているように見えたのです。
そのなかで少数のアメリカ人が、しかるべき問いを発するようになりました。なぜアラブ諸国、イスラム教諸国の人びとは、自分たちのことを嫌っているのだろうか。貧しい国々で民主主義を推し進めるためにさまざまな援助をしてきたにもかかわらず、なぜ彼らから嫌われているのだろうか。テロ攻撃の背後に、何があるのだろうか。こうした少数の人たちの問いは、政府が報復せざるをえないような恐ろしい攻撃にどう対応するかということではなく、憎しみがどこからくるのかを理解し、それに対してどうしたらよいのか、人びとの間や異なる文化の間に見られる隔たりをどうしたらなくせるか、というものでした。(7ページ)
 これは「平和」への問いだ。正気にかえれば平和の尊さが思い出され、その願いは強まっていく。では、どうすれば平和に近づけるのか。
わたしたちみなが望んでいる平和を、政府まかせにするのではなく、一人ひとりがその実現に向けて働かなければならないことに、少しでも多くの人が気づいてくれることを願っています。わたしたちは、だれでも平和の使徒になれるのです。(中略)
ラルシュ・コミュニティーで知的ハンディをもつ人々と38年間いっしょに暮らしながら、わたしは平和や争いについての考えを形成し、深めてきました。ラルシュ・コミュニティーは、家をもたない人には家庭を、見捨てられた人には尊厳を与えることを使命としています。(8-9ページ)
 しかし、実は援助者自身が学び、平和への歩みを助けられてもいる。その核には「心の壁を打ち砕く」という経験がある。「わたしたちが、本当に自分自身を開いて、真の人間関係が結べるよう変貌し、心の壁を打ち砕くならば、平和と希望への道はきっと見つけられます」。バニエは社会の問題から目を背けて個々人の心の問題に解消しようとしているのではない。現実的な融和・和解のための行動と結び付けて考えている。コミュニティで例示される「平和」が世界の難問の解決のモデルとなりうると考えている。
世界はいくつもの、多かれ少なかれ閉ざされた集団に分かれています。そうした集団がそれぞれ自分たちのほうが優れている、と確信しているとしたら、平和は訪れるでしょうか。もしも、自分たちが正しくてすでにもっている権力や技術力が、人間性と善の象徴であると傲慢にも思い込んでいるとしたら、他の人との対話は難しくなります。人は言葉の壁にも隔てられますが、恐れが障害をつくるのです。他者が、自分たちのアイデンティティを脅かす存在に思えるのです。そのため他者に向かって心を開くことに抵抗します。わたしたちはみな、多かれ少なかれ、自分の宗教、家族、仕事の人脈、友人関係といった安心できる集団に閉じこもってはいないでしょうか。家族やそのほかのさまざまな集団が人類の繁栄のためには必要なのですが、閉鎖的になると競争や争い、エリート主義を生み出すことになります。(18-19ページ)
 9.11後の状況での言葉だが、2010年代の東アジアの緊張や原発後の状況にも妥当ではないだろうか。バニエは実際に、エルサレムやインドのバンガロールで宗教の枠を超えたラルシュ・コミュニティが「平和」を具現している様子についても語っている。
お金に恵まれた人や権力をもった集団は、貧しく、力をもたない人びとを助けようとします。これは、ときに大切なことです。しかし、金持ちや権力者は多くの場合、達者を自分たちでは何もできない劣った人たちとみなし、同情して恩に着せようとするのです。人びとが自らを表現し、自尊心を高められるように助けることもなく、相手にその人のもつ価値を知らせないのです。権力を握る人びとは、状況を支配しようとします。というのも、弱者が本来の自分に気づいたときに何が起きるか、その変化を恐れているからです。(20ページ)
 しかし、その恐れは誰もがもっているものでもある。文化圏や国々の間にある恐れと家族の間での争いとに同質のものだ。「わたしたちはみな自分が正しく、他の人が間違っている、と主張しようと」していないだろうか。競争社会である現代社会では多くの人がそのような恐れに取りつかれて暮らさざるをえない。
競争と対立は、わたしたちの社会の多くのものごとの基盤となっているかに見えます。みな、成功し、勝者となりたいのです。競争はもちろん重要ですし、価値あることです。競うことによって新たなエネルギーが生じて、前に進んだり、創造的になったり、それぞれの分野でさらに能力を高めようとするからです。競争に価値を認めるとしても、競争の上に成り立つ社会は、本質的に危険をはらんでいます。こうした社会にあっては、勝者はつねにわずかで、敗者のほうが多いでしょう。犠牲となる人は、さらに多いかもしれません。ある人びとが頂上まで上り詰めるいっぽう、うつや嫉妬、怒りの深淵に陥る人も出てきます。怒りは、自分自身や親、社会、教会、神、そして幸福を自分から奪ったと思える、すべての人に向けられるでしょう。(24-25ページ)
 競争に明け暮れて「成功」を求める道を自ら降りて、シンプルな生活を歩んできた人の言葉だけに説得力がある。バニエは競争社会の中で疲弊しながら出口を見いだせないでいる多くの人びとに絶望しないようにと語りかける。平和への道は歩くことができる。それは日々の生活の中で可能なことだという。
わたしたちは、強い人に立ち向かっていくのを恐れます。そのためもっとも弱く、抵抗する力をもたない人たちを、わきに追いやろうとするのです。こういうことはとりわけ、人間として十全な扱いをされず、性的に虐げられてきた女性たち、また虐待をされた子どもたち、自らを守ることのできない障害者の身に、本当に起こることなのです。拒絶あるいは暴力の連鎖が断ち切られ、弱者が心から迎え入れられ、愛され、尊重されたときに、はじめて平和が訪れたといえるでしょう。(32ページ)
 心の平和こそ世界の平和の基礎だ。だが、それは葛藤を避けることではない。むしろ葛藤に近づき、そこに入っていくことでさえある。
いたるところで繰り広げられる争いは、人を無力感に陥れます。臆病になってしまって、争いを見詰め、その原因をつきとめて解決する手だてを考えようとしなくなります。(中略)現実から逃れて、小さな幻想の世界に閉じこもろうとします。平和は、争いを押さえ込むのではなく、そのさなかに身をおいて、対話を試みることにあります。個人であれ集団であれ、劣っているとか、理解力がないなどと見下されず、尊敬をもって扱われたと相手が感じるように。壊れた関係を修復し、争いと分裂が見られるところに、平和と一致をもたらすことはできます。しかしそのためには、謙虚であり続けることによって変貌していくことが必要です。(34ページ)
 ここにラルシュ・コミュニティでのバニエの長年の経験の中核があるのだろう。ラルシュ共同体で日々行われ学ばれていることを念頭に置きながら、バニエは宗教対立や民族対立や国際紛争を含めた葛藤を平和へと導く行動へと適用することが可能だとみなし、たいへん具体的に平和への転換のあり方を語っている。
わたしたちは、相手が変われば愛せるかもしれないのに、とつい思ったりします。しかし、こういうときに違う態度をとることができる人たちもいます。彼らは自分が相手を大切に思っていることをまず伝えようとします。そこではじめて、相手は変わり、またそれによって自分も変わっていきます。人が心を開き、変わっていくためには、愛に基づいた信頼がなくてはならないのです。自分に深い存在価値がある、と実感できたときに、人は成長します。ものではない、「人」であると認められることが、とても大切なのです。(35-36ページ)
 「見捨てられている」と感じることが孤独と絶望と悲しみの源泉だ。しかし、悲しいかな、人はそこに好んで立ち戻ろうとする、こうバニエは言う。だが、耳を傾け心を開くことによって、繰り返される暴力の反復を超えていくことができる。だから、平和はアクティブに関わりをもっていくことによってこそ得られるものなのだ。
平和とは、戦争がないだけの状態を言っているのではありません。また他の人が存在しないかのように無関心な態度で、避けたりしながら、近くで暮らすことでもありません。互いに相手のことを知ろうとし、互いの価値を認めつつ、助け合っているときのことを言うのです。(46-47ページ)
 よい例として、アウシュヴィッツで殺されたエティ・ヒルサムの言葉が引かれている。「最終的に、わたしたちは道徳的にただ一つの義務を負っています」、「心のなかに平和な場を広げ、その平和を他者にも伝えることです」(50ページ)。しかし、それは個々の人間の力で得られるようなものではない。恵みとして与えられるものだ、そのように経験されるものなのだ。「ゆるす」ということについて、バニエはこう言っている。
 ゆるす気持ちが「自然に」心の中にわいてくることはめったにないでしょう。むしろ、復讐心、失望、怒りといった感情が、しばしばわき起こってきます。ゆるすという恵みは、与えられるものです。未来に向かって現在を生きることができるのは、他者と自分自身をゆるす力が神から与えられるからです。こうした恵みをとおして、他者と出会うことができるようになります。受けた傷がいつしか生きるための力となり、傷口をとおして新たなエネルギーがわき出てくることに、気づくことができるでしょう。わたしたち一人ひとりのなかに、この生命、このエネルギーがあるのです。(54-55ページ)
 これは「悲しみから生まれる力」についての語りでもある。そして、それは「見捨てられた」経験をもつ知的ハンディをもった人たちが教えてくれていることでもある。
 弱い立場にいて、人とのかかわりを心底求めている人たちが、平和の使者となります。様子や態度で人を恐れさせるどころか、反対に思いやりをもって分かり合うように、心を開かせる人たちだからです。何か神秘的な道をとおって、わたしたちの心の恐れを取り除いてくれるのです。弱い立場にたった人びとに寄り添ったとき、自らの弱さをも受け入れはじめます。自分にできないことがたくさんあることに気づいて、自分もまた、他の人を必要としていることに気づくでしょう。自分の傷つきやすさ、弱さに気づいたときに、自分で築いた砦から出て、コミュニティをつくるようになるでしょう。(74-75ページ)
 ゆるすことができるためには弱さに気づくこと、そうして自らが開かれていくことが必要だという。
なお、コミュニティの閉塞についてもバニエは多くを語っている。『人間になる』では個の自律とコミュニティの力とのバランスについて論じ、「不安定性の原理」が必要だと述べている。

私たちには人とつながる必要があり、同時に自分自身(生きた現実の一人の人間)を確保する必要もあるという、この大きな矛盾の中に不安定さがあると私は思います。(中略)ある種の不安定さを引き受けたり、正しいとされる事柄を疑ってみることを私は「不安定さの原理」と呼びますが、これが最も顕著に見られるのは、私たちが個人として行為し、真の自己を立ち上がらせる時です。しかしながら、このように不安定であることは、集団や共同体にとっても重要な特質であると思います――集団が大事にしている価値を反省吟味し、それを疑い、理解を深めることができれば、そこに含まれた真理をよりよく知ることができるからです」。(70ページ)
 『暴力とゆるし』に戻る。本書の論旨を短く要約されているような一文が、75ページに見いだされるので書き抜こう。
自分の弱さに気づいたときに、平和をもたらす人となるのです。ここにある神秘が隠されています。優位な立場にいるから、あるいは権力をもっているから、といって平和を実現することはできないのです。わたしたちの奥深くに潜むもっとも傷つきやすい部分からわき出る生の力によって、平和はもたらされます。あなたにもわたしにもある、しなやかで力強い生命力が源となっています。
 バニエは「平和の使徒」の系譜として、アッシジの聖フランシチェスコ、マハトマ・ガンジー、ドロシー・デイ、マーティン・ルーサー・キング、アウン・サン・スー・チーらの名前をあげている(79ページ)。宗教的なものを背景にもった平和思想、そこになお生きる「心の平和による平和」の理念にバニエは新たな光をあてている。日本では障害者の支援から立ち上がった「べてるの家」や「どんぐりの家」(拙著『スピリチュアリティの興隆』参照)のような試みもある。東日本大震災の後の宗教者の支援活動の考え方ともおのずから通じ合うところがあるように感じている。

 

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